安房神社 (アワジンジャ)
《旧社格》 官幣大社
[ 安房
支部 |
本務神社
]
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■ 御祭神
主祭神 天太玉命 相殿神 天比理刀麑ソ 忌部五部神 ・櫛明玉命 ・天日鷲命 ・手置帆負命 ・彦狭知命 ・天目一箇命 |
■ 御由緒
安房神社の創始は今から2660年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前660年)と伝えられております。 神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、阿波国(現徳島県)に上陸、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ開拓を進められました。 その後、天富命御一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。 この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀麑燭鬚・廚蠅気譴討・蝓△海譴・什澆琉陀漆声劼竜・擦箸覆蠅泙后」 時代が下り養老元年(717年)になると、吾谷山(あづちやま)の麓である現在の場所に安房神社が遷座され、それに伴い、天富命と天忍日命をお祭りする「下の宮」の社殿も併せて造営されます。 平安時代の法典・『延喜式』の「神名帳」に記載された式内社(しきないしゃ)であると共に、特に霊験著しい名神大社(みょうじんたいしゃ)でもあった当社は国家から手厚い祭祀を受けておりましたが、同時に「安房国一之宮」として広く一般庶民からの崇敬も集めておりました。 明治時代になると、新たな社格制度が制定され、当社は「官幣大社」(かんぺいたいしゃ)という最高位の社格を賜り、昭和20年の大東亜戦争(太平洋戦争)終結まで国家の管理下に置かれることとなります。 終戦により、GHQによる「神道指令」によってそれまでの社格制度は全て廃止されましたが、昭和21年に発足した神社本庁(じんじゃほんちょう=全国の大多数の神社を包括する団体)が神社の由緒や活動状況を考慮して定める「別表神社」(べっぴょうじんじゃ)の指定を受け、氏子の皆様は勿論のこと、全国の崇敬者に支えられて現在に至っております。
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■ 例祭日
08/10
例祭日は神事(祭儀)のみ行ない、御神輿・山車・露店などは別の日に出る場合があります。
お出かけの際は念のため 神社にお尋ねください。
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■ 境内神社
《摂社》 天富命 天忍日命
《末社》 市杵島姫命 大物主神
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